負けず嫌いから生まれたマイノリティな処世術。

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身体が不自由なんだから、勉強ぐらい自由にさせてよ!

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皆さん、こんにちは。矢萩あきです。

先週の金曜日から、夜にカエルの声が聞こえるようになりました。

斜め前に個人が趣味でやっている感じの小さな田んぼがあって、そこで鳴いているのでしょう。

大合唱ではないので、テレビの音がなくなる、ちょっとしたときに聞こえる程度。

うるさくなくて、「あぁ、そういう季節だな」と思わせてくれるBGMとして楽しんでいます。

カエルの声を聞くと「井の中の蛙大海を知らず」と、自然に頭に浮かびます。

このことわざのおかげで私は養護学校から普通学校へ転校することができました。

それなりの勉強がしたかっただけなのに「井の中の蛙大海を知らず」ということわざまで引っ張り出なくてはならなかった、というお話です。

狭い世界の養護学校を出て広い世界の普通学校に行きたい

「井の中の蛙大海を知らず」は、カエルが使われている有名な言葉。

もちろん意味は、狭い世界だけで生きていると外の広い世界を知ることができない、です。

養護学校を出て普通学校に行きたい、と言ったとき、養護学校の先生で賛成してくれる先生はいませんでした。

好意的に見れば、私のことを心配してくれたから。

でも「残された子たちは、どうするの?あきちゃんが出て行ったら困るでしょ?」と、はっきり口にする先生もいて、「何、その理屈?」と思ったものです。

ま、ざっくりと言うと面倒くさかったのでしょう。

反対するなら、どうして交流教育なんて経験させたの?

私が普通学校に転校したいと思ったのは別に養護学校がイヤだったからではなく、きちんと普通学校のレベルで勉強がしたいと思ったから。

養護学校ではずっと勉強は1番で、「あきちゃんは頭が良いから、これ以上は勉強しなくてもいいよ」みたいな雰囲気がありました。

知的障害がある子もいるし授業はそういう子に合わせなくてはならないから、と。

その理屈には納得しつつ、でも身体が不自由だから勉強ぐらいきちんして将来に備えたいという考えが頭にモヤモヤとする中、中2の1学期に学校行事の一つとして組まれていた近所の中学校に行って授業を受けるという交流教育を経験します。

椅子も机も黒板も休み時間も10分で同じ、教室の移動も車いすの子を押さなくていいからスムーズでむしろ短時間でOK。

となれば、当然「普通学校に行きたい」となりますよね。

交流教育で「普通学校はこうだ」と見せつける、合ったレベルの勉強はさせてくれない、で「普通学校に行きたい」と言ったら猛反対されて全力でとめられる。。。

「井の中の蛙大海を知らず」ということわざまで引っ張り出さなくてはならなくなるなんて、思っても見ませんでした。

普通の勉強をするのに、ことわざなんて引っ張り出してこささないで!

だから私にとって「井の中の蛙大海を知らず」は、人生を変えた、スペシャルに大切なものなのです。

でも「井の中の蛙大海を知らず」のあとに「されど、空の青さを知る」と続けて使うことがあるそうです。

「井の中の蛙大海を知らず」は中国の言葉から作られたことわざで、この部分までは元となったハッキリした話があります。

「されど空の青さを知る」の部分は付け加えられたもので、いつ、誰によって考えられたのかもわからないそう。

また「されど空の深さを知る」や「されど天の高さを知る」、「されど海の深さを知る」など、いくつものバリエーションが存在しているらしいのですが、「されど~」と続かれると、ことわざの意味がまったく逆になってしまいます。

否定されるべき井の中の蛙が肯定されてしまうわけですから、私が「井の中の蛙大海を知らず」を使ったとき、「されど空の青さを知る」という続きを持ち出されていたら、と考えるとビミョーな気持ちになります。

養護学校から普通学校へ転校することをあきらめただろうか?

いえ、たぶん「空の青さを知るのに、井の中にいる必要はありません。井の中じゃなくても空の青さを知ることはできます。私は大海も空の青さも、両方知ります!」って反論しただろうな。

ことわざまで引っ張り出して、反対の意味に使われるバージョンでも対応できるぐらいでないと自分に見合った勉強ができないなんて、変な話。

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